大分県被団協

原爆に想う

東国東郡国東町  吉武 正

私は大分の歩兵第47連隊に現役兵として、入隊し、日中戦争に従軍しました。そして中部方面の戦闘で負傷し、現役を除隊しました。

昭和16年に大東亜戦争が勃発し、召集を受けて再び従軍しました。部隊は長崎県の五島でしたが、私の小隊は長崎と五島との物資輸送のため、長崎市桶屋町の光永寺に駐屯しておりました。

原爆投下の日も、それぞれ任務に就いておりました。私は光永寺の正門前で空襲警報のサイレンを聞き、上空に一機の敵機を見付けた瞬間、閃光を感じその場に伏せました。そこは爆心地から3キロの地点であったため、物凄い爆風を受けて本堂は破壊され、正門の大扉は閉ざされ、周囲の土塀の土台石も吹き飛ぶほどの激しさでした。私は大扉の

陰にいて、幸いにも難を逃れることができました。

数分後、被爆した人々が衣服を焦がされ、ヨチョチ歩きで逃げさ迷う姿が、あちこちに見受けられました。

方々では火災が起きて煙がもうもうと立ち込め、筆舌では表現できない惨状でした。

私達の部隊でも宿舎に戻らぬ者がおり、手分けして探しに出かけました。市内は丸坊主になり、至る所に屍体が散乱し、全くの生地獄でした。探索に2、3日かかりましたが、顔や姿では識別ができず、軍隊の巻脚絆の氏名で判断した者もおりました。

8月15日の終戦を機に、戦争の惨めさを痛感すると共に、人類の平和を希うものであります。

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