大分県被団協

8月9日

大分郡湯布院町   伊美 弘吉
今年は長い梅雨で、7月の下旬にやっと明け、急に暑い夏がやって来ました。やがてもうすぐ8月です。8月になると忘れもしません、あの41年前の8月9日、長崎市に原爆が投下された日です。あの悲惨な一瞬を私は昨日の事のように思い出します。

当時、私はまだ満20歳の徴兵検査を終えたばかりでした。三年前徴用令により、三菱重工業株式会社長崎兵器製作所に勤務していました。会社も戦争が激しくなると、新工場を大橋町の方に建設し、私も浦上町の工場から新工場に移りました。仕事はガス鎔接で、工場の部署は大橋工場鋼板工場吉田組でした。今思うとこの配置換えのため、命が助かったのだと思っています。爆心地から約1.5キロメートル位しか離れていない浦上工場が前勤務地ですから。

戦争は当時最早敗色は覆い難く、同盟国ドイツが既に降伏し、硫黄島は玉砕、まさかと思った沖縄本島も落ちて、いよいよ本土決戦が間近に迫っていました。
6日に広島市に新型爆弾が投下されたという記事が、新聞に載りました。そのころ制空権は敵機の意のままで、毎日のように敵機がやって来ました。その度に警戒警報か、空襲警報が鳴りました。しかし、一、二機ぐらいは警戒警報です。敵機が来る度に避難していては、兵器の生産はできませんので、空襲警報の時のみ工場横の防空壕に退避しました。それで原爆投下の時も、僅か二機のB29爆撃機が来たので、警戒警報中で普段と変わらず作業を続けていました。

午前11時を少し回ったとき、突然大きな音と共に天井が落下してきました。瞬間何か激しく衝撃を受け、辺りはほこりと煙でもうもうとしていました。上を見上げたら青白い光が見えたので、とっさに焼夷弾が落とされたと判断しました。そして早く逃げないと火事になると思いました。気がついて見ると、大腿部に激しい痛みを感じましたが、幸い頭はやられていないようでした。横には組長が落下した鉄骨の下になっていましたが、とても助けるどころではありませんでした。やっと這い出して工場横の防空壕に避難しましたが、数人の人が入っていました。皆夏だったのでシャツ一枚か上半身裸だったので、負傷して血だらけです。空襲が続いては危ないと思い、山手の方に向かって逃げました。その時はもう負傷者の列でいっぱいで、ほとんどの大が血だらけです。私もびっこをひきながら夢中で歩きました。

途中で倒れる人、それを何とかして連れて行こうとする人、大声で助けを呼ぶ人、道の真ん中で荷馬車が一台止まっていましたが、馬は車を引いたまま倒れて死んでいました。道端に五十銭札と、敷島という煙草が散乱していたのが、妙に印象に残っています。

やっと小高い山に着いて長崎市内を見渡すと一面火の海で、これが新型爆弾だなと皆で話しました。それからしばらくして、なぜか小雨が降りだしました。敵機の襲来もないようなので、ひとまず市内に戻り様子を見て、市外に退去しようということになり、鉄道線路に沿って歩きました。駅に着いて見ると、汽車は何回となく負傷者を市外に運んでいましたのでそれに乗ることにしました。ところが、係の人が声を枯らして「負傷のひどい人から乗って下さい」と叫んでいました。大部気がひけましたが一緒に乗り込みました。車内はほとんどの人が重傷で、血の臭いとうめき声で、まさにこの世の地獄でした。特に母子の負傷者は、可愛想で思わず目をそむけました。

やがて汽車は諌早市の海軍病院に着きましたが、すでに何人かの死者が出たようです。病院は負傷者で充満し、民間の病院からも医者と看護婦が大勢応援に来て、徹夜で治療に当たっていました。私たちには医者が神様で、看護婦さんが天使に見えました。友人を見ますと、火傷の跡のような火ぶくれが体の各所にできていましたが、他にもその様な負傷者が大勢いました。直接爆弾の熱線にやられた人たちでした。

自力で動ける人は帰郷できることになり、病院の証明書をもらい帰途につきました。久留米駅を発車後空襲を受け、駅が爆撃されました。私はまた命拾いをしました。やがて終戦になり、三ヵ月ばかりは何となく体調が悪く、誰もが虚脱状態でした。

一ヵ月後、会社の残務整理のため長崎に行きましたが、まだ市街はやっと道路が開いた程度で、人の死臭が強く鼻をつく有様でした。工場もガスタンクが大きく曲がり、鉄骨は飴のようになっていました。又アメリカ兵が大勢進駐し、米軍機が低空で飛び回り、敗戦を痛感しました。工場から避難したときの道路には、あの時爆死していた馬は白骨化のままでした。
話によると、市内に残って作業を続けた人や、被爆当時は割合元気だった人が次第に弱り、ばたばたと死んでいったとのことでした。長崎市内の死者は正確には判らないが、五~六万人位だと推定していました。

現在の核爆弾は、広島長崎型の数百倍、数千倍の威力があると聞きますが、核戦争が絶対起きない保証は何もありません。
私たちは皆、今の平和が永久に続くことを祈って止みません。

 

 

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

上部へスクロール