閃光に想う
佐伯市 菅 修 昭和20年8月6日は、朝から雲一つ無い快晴で、外はぎらぎらと太陽が照りつけていた。「暑いなぁ!今日は泳ぎにでも行こうかなぁ!」と思いながら、朝食後の一時をゆっくり寝転んで新聞を読んでいた。すると、ラジ […]
大分市 後藤博彦 被爆の悲惨さ、その残酷さの実態や真実は、すでに戦後42年の間に、言葉として語り継がれ、文字として書き尽くされ、そして映像としても描かれているので、私は私なりにアングルをかえ別の面にスポットをあててみた
竹田市 山岡親(旧姓金丸) 私は昭和20年1月26日から、広島市段原町広島女子商業学校を隊舎とした、船舶砲兵団司令部無線通信教育隊に勤務していた。ここには通信隊二百名と衛生隊五十名がいました。私は2月上旬、南蟹屎町の三宅